車いす生徒の胸ぐらつかみ「だまれ」 教諭を停職 [朝日新聞]
2008年3月19日 時事ニュース
詳細は不明だが、ニュースを読む限りではどっちもどっちという気がしないでもない。
先生は相手がで障がい者であろうとなかろうと、胸ぐらを掴んで恫喝する行為は間違っている。
そういう意味では、この先生は罰せられるべきだろう。
翻って、この生徒はどうか。
この生徒は先生に介助を「きちんとするから安心するように」と言われたが、それを不十分だと感じ「約束を守らない先生は信用できない」と言っている。
ここに一つの疑問を持つ。
それは「どこまでやれば十分と感じるのか、またはどこまでしなければ不十分と感じるのか、ハッキリしない」という事。
もし先生は十分に介助したと思っているのに「約束を守らない先生は信用できない」と言われれば、激昂してしまうのも無理はないだろう。
単純にこれは生徒と先生のコミュニケーション不足から起こった事なのではないだろうか。
お互いに1人の人間として接し、相手がどう思ってるのかをちゃんと考え、わからなければ聞けばいい。
生徒はこうして欲しいああして欲しいという事をキチンと伝え、してもらえる事としてもらえない事を認識する。
先生は生徒の要望をちゃんと聞いて、出来る事と出来ない事を伝える。
そういう事が大事なんじゃないだろうか?
先生は相手がで障がい者であろうとなかろうと、胸ぐらを掴んで恫喝する行為は間違っている。
そういう意味では、この先生は罰せられるべきだろう。
翻って、この生徒はどうか。
この生徒は先生に介助を「きちんとするから安心するように」と言われたが、それを不十分だと感じ「約束を守らない先生は信用できない」と言っている。
ここに一つの疑問を持つ。
それは「どこまでやれば十分と感じるのか、またはどこまでしなければ不十分と感じるのか、ハッキリしない」という事。
もし先生は十分に介助したと思っているのに「約束を守らない先生は信用できない」と言われれば、激昂してしまうのも無理はないだろう。
単純にこれは生徒と先生のコミュニケーション不足から起こった事なのではないだろうか。
お互いに1人の人間として接し、相手がどう思ってるのかをちゃんと考え、わからなければ聞けばいい。
生徒はこうして欲しいああして欲しいという事をキチンと伝え、してもらえる事としてもらえない事を認識する。
先生は生徒の要望をちゃんと聞いて、出来る事と出来ない事を伝える。
そういう事が大事なんじゃないだろうか?
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